プロフィール

最新記事
リンク集
QRコード
携帯向けトップページ


ドリコムブログにログイン
無料ブログ作成なら
ドリコムブログ
無料ブログ作成ならドリコムブログ

生きているって言ってみろ [2010年01月03日(日)]

dscn05410.jpg

アメリカのどこかの町のどこかでみつけた絵画。
私の絵も、こんな風に町のどこかで発見されたいと漠然と思った。

あけましておめでとうございます。

「自分の家の前で立ち止まり、覚悟を決めてドアを押す、地獄でもあるまいによ、生きてるっていってみろ!」(友川かずき)

後で振り返ってみれば、また色々と笑えることもあろうが、
孤独とか、苦悩とか、そういうものはたくさんあるし、
おそらく皆さんも、そうであろうかと思う。
ハッピ〜な瞬間もあれば、そうでない瞬間もあり。
そして、その色々なことは、ほとんど言葉にはなっていないと思う。
きっと、伝わらないことに悶々としたり、
理解してもらえないことに怒ったりもするかと思う。

たった一人で苦悩せよ。
それがなければ生き抜いたって仕方がない。
味も素っ気もない。そこから逃げたり、一人になれない人間は、
一人で苦しめない人間は、なんだ。
生きぞこないか。

私は一人で苦悩したり、孤独の中にたたずんで、
日々途方にくれたりしながら、
まっすぐ背筋を伸ばして生きている人間が好きだ。

努めて防御壁を作れという話ではなく、
自分と他者との間に、境界線があり、
自分の中に自分自身の核が存在していなければ、
ただ、やたらと生きている、感じがして、
それは、ただ、ベタベタとまとわりついた、
自分も他人もわかっていない生物であって、
人間の美徳や、誇りを感じさせない生物であって、
生き抜いたって恥さらし。
強さや優しさとは程遠く、
虫唾が走るほど嫌いだ。

屈辱と、怒り、
絶望、死への欲求、羞恥を知るに耐えかねることもある。
死への欲求は、ひとまず、
創作意欲へと変換されるかもしれない。
そして誇りをもって生きてみる。
己の羞恥を知ることは、裁かずに許すことを知る鍵になる。

ところで、友川カズキは絵も描いているって知ってましたか?

みなさん、どうか良い一年をお過ごしください!
Posted at 22:45 | この記事のURL | Clip!!

お久しぶりでした [2009年12月21日(月)]

ismfileget.jpg

昨日の更新がとても久しぶりでした。
様々なことが久しぶり。

mixiも久しぶりに見に行ったら、良く分からない項目がたくさん増えていておどろきました。
今日Docomoショップに行ったら、店員さんと話がかみ合わなかった。

2010年から携帯のメールを使わなくなりますので、御用の方はパソコンメールまでご連絡ください。
携帯メールを使わないといえば!かの、泉常夫氏。

先月泉氏の奥さんのあこちゃん主催の一周忌イベントでフラメンコを踊った。
(写真はその翌日にあったスタジオの発表会)
一周忌イベントはアットホームな楽しい会だった。
泉さんの残したノートがおもしろかった。
皆様が温かく見守ってくれている中、楽しく踊りました。
ありがとうございました。

もう今年もあとわずかだね。
良いお年を。
Posted at 19:37 | この記事のURL | Clip!!

泣く犬 [2009年12月20日(日)]

img20091220.jpg


前回のuzna omomで飾った絵。
羊と思った人もいたのだけれど、羊ではなく犬。
この絵を描いた時は、まさか自分の犬が泣くことになるとは思っていなかったが。

先月の初め頃、犬が、ニジオさんの言うところの「肉体を卒業した」。

「Maybe there's a God above
And all I ever learned from love
Was how to shoot at someone who outdrew you
It's not a cry you can hear at night
It's not somebody who's seen the light
It's a cold and it's a broken hallelujah」Leonard Cohen - hallelujah

誰もかれも年を取って100年もたたずに皆いなくなっている。
やり残したことなどないはずだが、まだ私は生きている。

エル・ピパのクルシージョに行った。
フラメンコのすべてという本を買って読んでいる。
アンダルシアの写真をみると、無性に胸が騒ぐ。
確かに落ち着いた洗いざらしのオーガニックコットンのような、清潔感のある無害そうなものに心惹かれるのだが、拳のきいたフラメンコのカンテは、育ちのせいなのか、生まれつきなのか、あの泥臭いものとは切ってもきれない何かがある。それなくしては魂が抜けたみたいに感じる。
普段はすっぴんであることが多いのだが、厚化粧のロックや、厚化粧の舞踊に心惹かれる。クリスタルボールの音にインスピレーションをもらうが、メタルロックに手放しでイエスなのは人の弱さに惹かれるからだ。
人として生まれたからには、人としての感情と、弱さがある。
月の部分と太陽の部分が両方ある。
だから生きている。

Posted at 21:39 | この記事のURL | Clip!!

おのれのこころの内 [2009年11月01日(日)]

091029_203016_ed.jpg


気づけば11月1日になっていた。
毎日犬の世話に行っているので帰りが遅く、朝は早く訪れ、仕事は俄かに締切多く、気づけば家の前の木に桃色の花が咲き、牧野家から頂いた電気ストーブが活躍しそうな季節にまでなっていた。

くーちゃんはまだ生きているが、年は越せないだろうとのこと。
とかいって越したりして。

9月の終わりに、
犬が倒れ、毎日病院に連れていくことになった。
ほぼ毎日それをしたけれども、
犬の血液検査の結果はどうにもよくならず、
悪くなる一方で、
やはり15年と3か月も生きていると、そろそろなのかもしれない、
と、母ともども覚悟を決めて日々、犬の命のことを考えている。
仕事をしていても、食事をしていても、
くーちゃんのことが気が気でならない。
が、しかし、私も私の生活があったりして、
ずっとは一緒にいてやれない。
できることはなんでもしたいと思うのだが、
だんだんできることもなくなってきた。
なでなでなでなでしてやると、
うっとりして、気持ち良くなっているのがわかる。

12キロあった子が、今は8キロちょっとにまで落ちた。
薄い皮膚の下に、すぐ肋骨があるのがわかる。
呼吸すると、ふくふくと動くのがわかる。
かろうじて歩くときなど、よらよらしていて、
立ち止まっても、ゆらゆらとカゲロウみたいに揺れていて、
もともと心もとなさそうな犬が、
今にもかき消えそうなところにまで来ている。

先月乗り切れるかどうかわからなかったのだけど、
乗り切ったので、もしやまだ生きるかもしれないと思うが、
それが犬にとっていいことなのかどうか。

母と二人、葛藤しているけれども、
良いとか悪いとかは、
ないのだと思う。
飼い主が、犬の死後、もっとああしてやればよかった、こうしなければよかった、など思うのは、しかたないのかもしれないけれど、
どっちにしろ、ああしてやればよかったこともこうしなければよかったこともないのだ。
良くも悪くもないのだ。
犬と生活し、犬を日々見てきた母と、
小さい体を初めて目にして、
小さな段ボールに入れて一緒に眠った私にしか、
わからないこと、ただそれしかない。
日々衰えていく体を、小さなケージに入れ、
ガラガラと病院まで引いていく時の、
道の悪さ、硬さ、冷たさ、
くーちゃんの早い鼓動、ふらふらと玄関まで歩く姿を、
毎日みつめている私と母にしかわからないこと。

自分自身のこころの内は、自分自身しかわからない。

だから何事も、決めるのは自分自身でなければならない。
死にかけている犬を、無理やり病院に連れていくことも、
注射を嫌がりだした犬に無理やり注射を打たせるのも、
そうしてはたいた大枚も、
大きな声で泣く犬を、どうしてやったらいいのかも、
その回答を出せるのは、母と私しかいない。
そしてそこに、善し悪しは断じてない。

そういえば、変なコメントがたくさん書き込みされるようになったので、コメントの書き込みできなくしてたら、今までのコメントがみられなくなってしまった。保存はしてあるのだけれども。

しっかりと、最後まで、そばにいてやりたいと思う。
朝起きる時も、目を閉じて眠るときも、
最後にくーちゃんの硬くなった体をなでるところを想像してしまう。
ミコが硬くなったみたいになるのだろうから。
そんなことがあってはならんと思うのに、
あるのがこの世に生まれたからには共通の決まり事なんだ、
犬よ、うまいもんでも食わせたる。
Posted at 06:59 | この記事のURL | Clip!!

ネイティブアメリカンの言葉 [2009年09月20日(日)]

「あなたが生活のために何をしているかは、どうでもいいことです。

私はあなたが何に憧れ、どんな夢に挑戦するのかを知りたいと思います。

あなたが何歳かということも関係ないことです。

あなたが愛や夢や冒険のためにどれだけ自分に賭けることができるか知りたいのです。

あなたがどの星座の生まれかということもどうでもいいことです。

あなたが本当に深い悲しみを知っているか、人生の裏切りにさらされたことがあるか、それによって傷つくのが怖いばかりに心を閉ざしてしまっていないかを知りたいのです。

あなたが、自分のものであれ人のものであれ、痛みを無視したり、簡単に片づけたりせずに、それを自分のものとして受け止めているかどうか知りたいのです。

また、喜びの時は、それが私のものであれ、あなたのものであれ、心から喜び、夢中になって踊り、恍惚感に全身をゆだねることができるかどうかを知りたいのです。

気をつけろとか、現実的になれとか、たいしたことはないさ、などと言わずに。

私はあなたの話すことが本当かどうかには関心はありません。

私はあなたが自分自身に正直であるためには、
他人を失望させることでさえあえてすることができるかどうかを知りたいのです。

たとえ裏切りだと責められても、自分自身の魂を裏切るよりはその非難に耐える方を選ぶことができるかどうかを。

たとえ不実だと言われても、そんな時にあなたがどうするかによって、あなたという人が信頼に値するかどうかを知りたいのです。

私はあなたが本当の美がわかるかどうかを知りたいのです。

それが見た目に美しく見えない時でも、毎日そこから本当に美しいものを人生に汲み上げることができるかどうかを。

私は、あなたがたとえ失敗しても、それを受け止めてともに生きることができるかどうか、それでも湖の縁に立ち、銀色に輝く満月に向かって『イエス!』と叫ぶことができるかどうかを知りたいのです。

あなたがどこに住んでいるとか、どれだけお金があるかはどうでもいいことです。

それよりも、あなたが悲しみと絶望に打ちひしがれ、どんなに疲れ果てていても、また朝が来れば起き上がり、子供たちを食べさせるためにしなければならないことをするかどうかを知りたいのです。

あなたが誰を知っているか、あなたがどうしてここに来たかは関係ありません。

私と共に決してひるまずに炎の只中に立つことができるかどうかが知りたいのです。

あなたがどこで、何を、誰と勉強したかはどうでもいいことです。

私が知りたいのは、皆が見捨ててたった一人になった時、
あなたの内側からあなたを支えるものは何かということです。

私はあなたが自分自身としっかり向き合い、その何もない時間の中にいる自分を心から愛しているのかどうかを知りたいと思っているのです。」

オライア・マウンテン・ドリーマー(ネイティブアメリカンの長老)
Posted at 12:22 | この記事のURL | Clip!!

霧みたいな [2009年09月19日(土)]

霧みたいな自分自身だ
本当の自分と呼ぶような自分というものは
ないように思われる

分類されることを拒み
評価されることを拒み
説明されることを拒んでも
他人はあなたを理解可能な範囲でしか認識できない

人はみたいものをみている
ききたいものをきき
わかりたいものだけをわかる

そのお城のような とでも言うのか
迷宮とでもいうのか
住みか 隠れ家 そんな世界から
抜け出す唯一の方法は
自分自身が内側から崩壊すること
そう思っていたけれど
そうではなく
そもそも崩壊なんていう
物体が破壊される みたいなこと自体が
見当違いなことで
霧みたいな自分自身は
壊れようがない

自分自身はそこにあるけれど
分類されることも
評価されることも説明されることも
そもそも不可能な
よくわからないものなのだ

そもそもがそんなだから
自分自身が自分自身の摩訶不思議で
おさまりきらない不思議さを
もてあまして当然だ
それに 自分自身も他人も
説明がつかなくて当然だ
その当然の大前提を
万人が持っていると感じていたら
他人の苦しみややさしさを
図ることをせずにいられるのではないだろうか
支配しようとせずにいられるのではないだろうか

希望の水
希望の水は苦しみの渇いた手からまかれる
Posted at 20:22 | この記事のURL | Clip!!

ニャーのこと [2009年09月18日(金)]

DVC00073.jpg
今月のはじめころ、ニャーはあっち側に行ったらしいのだが、そのことを、どう言ったらいいかわからず、ショックを受けているのかもしれない、と考えていた

ニジオさんやノココちゃんにかける言葉もなく、ペットを失うことはつらいことだよなあ、などと言ってみたりした

クーチャンがいなくなったら私どうしたらいいんだろう、と思う
あの馬鹿猫金がおっちんじまうよりずっとつらいだろう

想像するに、悲しくてたえられず、胸が締め付けられる
失うことを、コワイと思う

しかし、避けられることは万に一つとしてなく、それは来る

ニャーは私の友人である
猫の男友達である
二週間程前に他界し、北海道にいけばまた会えるのだと思っていたが、果たせなかった
最後に会ったのは今年の四月
まだ東京のうちの近所に住んでた頃

最後となってしまったあの日は、二人で床の上で眠った

決して手では触らせない猫だったが、こんなに近くで眠っていたのか
不思議に思う
ニャーは最後だとわかっていたのだろうか

ニャーに会えないのは悲しい
今日は変なものを食べ過ぎ発熱中

ニャーに会えないが会いたい
Posted at 22:26 | この記事のURL | Clip!!

ヒゲを全部引っこ抜かれた猫 [2009年09月02日(水)]

090901_000435.jpg
みたいになっとる、最近。

とにかく、
何も考えずに、時間を過ごすために、目標を決めて、それを一つずつ達成していくことにした。


また夜だ
そんでまた朝がくる
Posted at 00:36 | この記事のURL | Clip!!

特別な眠さのある一日 [2009年09月01日(火)]

090901_000245.jpg
静かに時が過ぎていく。

台風が過ぎ去り、明日は晴れるのだそうだ。

今日、夕方、空が薄紫色だった。

雨で湿った歩道や、空気が、不思議な色に光っていた。

頭の中で、いつもあの人に話し掛けると、優しい気持ちになる。

空が何色だろうが、晴れてようが、雨だろうが、毎日過ごしていく。

私は今は死なないけれど、ただ一度の人生を過ごしていて、刻一刻死に向かって歩いている。
どんな死に方をするだろうと空想する。

だいたい、惰性が多いし、無自覚が多いし、無反応や、無理ばかりが目立つ、人というのは。

私の中に、惰性のない想いがあり、それを最近よく自覚する。何度となく。

これをすれば、安全だとか、これを我慢すれば、いい人にみられるとか、ちゃんとしてれば偉くなれるとか、こんな服着てれば好いてもらえるとか、なんというか、自分を売るようなことがある。
そういう惰性から生まれていない私の中の、何の目的もなく、理由もないもの、ただ愛していること。

猫や犬に対してだけでなく、他のものや人に対してもあり、それらに自覚があること。

それが、私を無垢にする。それが自然と沸き上がる反応であり、無理はしない。

私の人生に必要なものと、そうでないもの。
私を無垢にするものと、ブレさせるもの。

なんだかあの、薄紫の空気の中では、全てが生々しい夢みたいで、どこか悲しいというか、痛むような気さえした。
Posted at 00:49 | この記事のURL | Clip!!

展示最終日 [2009年08月30日(日)]

flower.jpg

展示最終日の今日は、たくさんの人が来てくれました。
茨城からきてくれた友人が、花束をくれました。
ありがとうびっくり
とてもきれいで、大きい花束で、
うれしいです。

今回の展示にもたくさんの人がきてくれて、
ありがとうございました。

色々思うところあり、
また、感謝の気持ちで満たされています。

今日は実は選挙に行かなくてはならず、
カイ君のライブみられませんでした・・・
それに店長のおいしい料理も食べられず・・・

そして体調も不調だったこともあり、
やはり搬出は先延ばしにしていただきましたため、
実は水曜日の夜搬出です。
だから水曜日だけ、まだ展示してあるよ。
月曜火曜はカフェがお休みです。

募金もみなさん、ありがとう。
まだ数えておりませんが、
たくさんいただいている気がします。
シールもほとんど残りませんでした。
限定20枚のポストカードは売り切れました。
缶バッチもほとんど残っておりません。
うれしいです。

来てくれたひとりひとりに本当に感謝してます。
またこんなふうに展示ができることを、願っているし、楽しみにしています。
実際は、確かに、つらかったり、不調になったり、悩んだりもして、そんなに簡単にできることではないのだけれど、それでも、いつもやってよかったと思います。
この一年、3か月おきに個展をやらせていただきました。
店長には、心底感謝してます。
手伝ってくれたいろんな人達にも、感謝してます。

次回のuzna omomでの展示は未定です。
でも、11月くらいに、江古田で展示をするかもしれなかったり、
ちょっと緩めに、そして密かに、人前に出没する予定もあります。

前にも何度もこのブログで書いていることだけれど、
今日改めて思ったこと。

わたしはおそらく、絵を描くことや、詩を書くことや、踊りを踊ることで、この困難極まりない人生を、なんとかやりすごそうとしている、ということ。目的があって表現しているのでもなく、ただ自分の中に湧き上がるものを、出すことが、なぜか、この人生に流れる日々をやりすごすのに、わたしには必要なのだということ。

すぐれたものをつくろうとも思わないし、楽しませようとも思わない。
お金を得ようとも思わないし、うまくやろうとも思わない。
それをやれば、少なくとも、今この瞬間は、濁ったわたしの中の何かが、すっと透明になって、ぱっと燃える。
ただそれをすることが、やりすごすのにいいということだ。

展示するきっかけになったのは、
この東京に帰ってきてからのこと。
わたしは、もともとは、絵を描いて暮らしていこうとも思っていなかったし、絵を勉強しようとも思っていなかった。ただできることがそれしか見当たらなかったのがきっかけだった。

ずっと、同じことを惰性で続けるのはぜったいに嫌だから、
いつも新しことをやっていたい。
いつも崖っぷちにいたいし、いつも限界を爆破したい。
いつも途方に暮れていたい。

改めてそう思った。
それは、創作に限らず、人生においてもそうだし、
もしも芸術なんてものがあるのなら、
生き様だけが芸術だと思う。

生き方を考え続けた、この展示期間中、
いろんな気持ちや、考えが、
湧き上がった、交差した、
ぐるぐるしながら、
すこしずつまた、確信になっていく。
Posted at 23:23 | この記事のURL | Clip!!
| 次へ
2010年01月
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
カテゴリアーカイブ
日別アーカイブ
月別アーカイブ

RSS 1.0